【自然哲学者・ソクラテスの師】アナクサゴラスとアルケラオス

ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』では、ソクラテスははじめアナクサゴラスの弟子であり、後にアルケラオスの弟子となった、という記述がある。

アナクサゴラス

アナクサゴラスは古代ギリシャにおけるガリレオ・ガリレイのような人物である。

アナクサゴラスは自然を主として研究した哲学者だが、それは古代ギリシャにおいては、近現代のように哲学と科学が明確に分離していなかったためである。

アナクサゴラスは自然、特に天体の研究に執心し、そのために後に裁判で有罪判決を下されることとなった。しかし哲学者で刑死した人物はソクラテスが初めてであり、アナクサゴラスは有罪とはなったものの、死刑には処されていない。

『ギリシア哲学者列伝』では、彼が死刑にならなかったのは、アテナイの全盛期を築いた偉大な政治家であるペリクレスがアナクサゴラスの弟子であり、彼が巧みに弁護したからだとされる。

自然の研究に没頭

アナクサゴラスはクラゾメナイの人で、アナクシメネスの弟子であった。

彼は20歳の時からアテナイで哲学を学び始めた。このアナクサゴラスが20歳であった年は、クセルクセスがギリシャに侵入した年であると『ギリシア哲学者列伝』は伝えている。

アナクサゴラスは生まれがよく、多くの財産を持っていたが、財産に執着を持たず、父親から譲り受けた財産を全て身内の者に譲り渡してしまった。

彼は、太陽は灼熱の金属の塊であり、月には住居があり、山や谷もあるとした。アナクサゴラスはまた、隕石の落下を予言したり、雨の降ることを予期したりしたという逸話も持っている。

おそらく自分の研究において考えられた天体の構造を正確に伝えるためなのだろう、『ギリシア哲学者列伝』ではアナクサゴラスは、図解入りの書物を公刊した最初の人であると伝えている。

アナクサゴラスの言葉

アナクサゴラスは公的な事柄に関心を示さず、自然に関する研究に没頭していたので、それを咎めて「君は祖国のことが少しも気にならないのか」と人に言われた時、「口を慎んでくれたまえ。私には祖国のことが大いに気がかりなのだ」と天を指差して言った。

またアナクサゴラスは人に「いったい何のために生まれてきたのか」と問われると、「太陽と月と天とを観察するために」と答えた。

自恃(じじ)の念も強く、「君はアテナイ人から見捨てられている」と言われると、「いや、私でなく、彼らが私から見捨てられているのだ」とやり返した。

アナクサゴラスの裁判と死

『ギリシア哲学者列伝』では、アナクサゴラスが訴えられた要因については諸説あるとしているが、彼が「太陽は熱した金属の塊である」と考えたことを、不敬の罪を犯したとされて、クレオンという人に訴えられたとしている。

『ギリシア哲学者列伝』の著者のディオゲネス・ラエルティオスよりも一世紀前の時代に生きた『英雄伝』の著者プルタルコスは、弟子のペリクレスが師のアナクサゴラスを、裁判になる前にアテナイから脱出させたとしている。

いずれにせよ、アナクサゴラスの裁判は、彼の学問それ自体が純粋に問題になったというより、弟子のペリクレスとその政敵のツキュディデスの政争に巻き込まれて訴えられた可能性が高い。

アナクサゴラスの最期は、『ギリシア哲学者列伝』によれば、ペリクレスのおかげで死刑になることは免れたものの、5タラントンの罰金を科せられ追放されたとする(1タラントンは現代の価値に直せば6000万円ほどであるので、かなりの大金と考えてよい)。

彼は死罪は免れたが、(おそらく既に老齢だったこともあり)自分への不当な仕打ちに耐えられず自殺したという。

アルケシラオス

アルケシラオスはアナクサゴラスの弟子である。ディオゲネス・ラエルティオスは、この人が初めて自然哲学をイオニアからアテナイにもたらしたとしている。

アルケシラオスもまた、師のアナクサゴラスと同じく主に自然学を研究していたものの、美しいものや正しいものについても論じており、それが弟子のソクラテスの哲学において中心課題に据えられたとされる。

しかしその功績については限定的なものであり、アルケシラオスについては『ギリシア哲学者列伝』ではわずか2ページに渡って触れられているのみである。

古代ギリシャでは、同性愛は異性愛よりも高尚とされ、一般的なものだったことはよく知られている。ソクラテスは醜怪な風貌だったと伝えられるが、何かしらの魅力を若い頃から持っていたらしく、『ギリシア哲学者列伝』では「アルケシラオスから想いを寄せられることにもなった」という短い記述がある。

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