アレキサンダー大王が出会ったインドの「裸の哲学者」たち

プルタルコスはその著書『英雄伝』で、マケドニアのアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)がその東征において出会ったインドの僧侶たちについて伝えている。

古代ギリシャでは自然科学と哲学とが一体で区別できないものだったが、一方で古代インドにおいては宗教と哲学とが一体だった。優れた宗教者であった釈迦が、「毒矢の譬え」で抽象的な真理の探究を戒めたのも、そうした背景のためである。

ちくま学芸文庫の『プルタルコス英雄伝』の訳文では、彼らを指す言葉を「裸の哲学者」たちと訳して、「ギュムノソフィスタイ」と仮名を振っているが、(私自身、語学はからきしだが『ソフィスタイ』という振り仮名から推測する限り)正確には「裸のソフィスト」なのかもしれない。

いずれにせよ、このプルタルコスの表現は、インドにおける宗教者たちが酷暑の気候のために裸形に近い格好をしており、なおかつ哲学的な問答を盛んにしていたことから、アレクサンドロスの遠征軍が彼らを(宗教者というより)「巧みに問答する者≒哲学者(あるいはソフィスト)」と判断したためなのだろう。

実際、当地の最高カーストであるバラモン僧たちは、盛んに王たちを説き伏せてアレクサンドロスの進撃を阻害するように抵抗したという。

10人の「裸の哲学者」たち

アレクサンドロスはインドでの戦闘においてしばしば苦戦し、時には自身が負傷することさえあった。

ある時、アレクサンドロスは、インダス河口近くの王であるサッバスを離反させ、マケドニア軍に大きな損害を与えた10人の「裸の哲学者」たちを捕えた。この時に彼らと交わされた問答は興味深い。

彼らは巧みに言葉少なに答えるということだったので、アレクサンドロスは、難問を出し、最初に正しい答えができなかった者を殺し、残りの者も順に殺すことにした。また、10人の中でもっとも年長の者を審判者としたので、残された9人に順に問いが出された。

9個の問いと答え

問1「生きている者と死んでいる者はどちらの方が多いのか?」
答え「生きている者である。というのも、死んでいる者はもはや存在していないから」

問2「陸と海とどちらが大きい生物を生むのか?」
答え「陸である。というのも、海は陸の一部だから」

問3「最も狡猾な動物は何だ?」
答え「いまだ人間の知らないものである」

問4「どういう理由でサッバスを離反させたのか?」
答え「サッバスが立派に生きるか立派に死ぬかするために」

問5「昼と夜とはどちらが先にできたのか?」
答え「昼が一日早く」アレクサンドロスが驚いていると、答えた者は「難問には難答が必要である」と付け加えた。

問6「どうすれば最も愛されるのか?」
答え「最も強力にして、恐れられなければ」

問7「どうすれば人間は神になれるか?」
答え「人間に出来ないことをすれば」

問8「生と死とはどちらの方が強いのか?」
答え「これほどの悪に耐えている生の方が強い」

問9「人間はいつまで生きるべきか?」
答え「死ぬ方が生きるより良いと思うまでは」

審判と結末

こうして9個の問いと答えが出揃うと、アレクサンドロスは審判にどう思うか尋ねた。

すると審判者は「後の者の方がより下手な答えだった」と答える。

アレクサンドロスは、その答えを受け、「それならば(一番最後に私の質問に答えた)お前が最初に死ななければならない」と言った。

審判者は「いや、そうではありません。もし陛下が最初にもっとも下手な答えをした者を殺すとしたのが偽りでなければ」と答える(最後に答えた審判者である自分自分を殺すことは、アレクサンドロスの『最初にもっとも下手な答えをした者を殺す』という宣言と矛盾する、と指摘した)。

アレクサンドロスは感心して全員に贈り物を渡した上で立ち去らせたという。

審判者の言葉は、アレクサンドロスの返答を計算してのものだとしても、咄嗟のものだとしても、巧みなものと思える。

9個の問いと答えについては、私には3個目の問いの答えがやや分かりにくく感じられたが、おそらく「狡猾な動物はその最高度の狡猾さから、自身の存在を人間には知らせないで生きている」という意味なのだろう。

しかし5個目の答えはもう一言付け加えたせいなのか、やや苦し気に思える。また邪推かもしれないが、8人目の答えは追い詰められて厭世的になっていたからかもしれない。

カラノス(スフィネス)とダンダミス

10人の「裸の哲学者」たちを解放した後、アレクサンドロスは、犬儒派のディオゲネスの弟子であったオネシクリトスを派遣して、当地で名高い「裸の哲学者」を呼び寄せることにした。

ディオゲネス(紀元前412年?~323年)は質素な生活と奇人変人ぶりでも知られた古代ギリシャの有名な哲学者である。 樽の中で暮らしたこ...

この時、派遣されたオネシクリトスについては、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』(岩波文庫)では、わずか1ページ足らずだが列伝が見られる。その該当箇所では、オネシクリトスはアレクサンドロスの遠征に随行し、一方でクセノポンはキュロスの遠征に随行したことなどから、クセノポンとの類似を指摘されている。

またプルタルコスの『英雄伝』では、「裸の哲学者」として個人名を挙げられているのは、この箇所で記述されているダンダミスカラノスという二人の者だけである。

ダンダミス

ダンダミスは、ソクラテス、ピュタゴラス、ディオゲネスといった哲学者たちの話を聞いて、「天性よい人間だが、法律の前にあまりに身を低くして暮らしている」と感想をもらしたという(当地のバラモン僧は非常に気位が高いのでそのように感じられたのだろう。彼らバラモン僧の先祖は立法者のような存在であり、その意味では法よりも上位の存在である)。

ソクラテスは世界的に仏陀・キリスト・孔子と並んで四聖(しせい)の一人とされている。古代ギリシャの哲学者で、もっとも著名な者といっていい。 ...

あるいは、そうではなくダンダミスは「何のためにアレクサンドロスはそのような遠い道のりをここまで来たのか」とだけしか言わなかったとも伝えられる。

カラノス(スフィネス)

一方でカラノスは、派遣されたオネシクリトスに対し、きわめて傲然とした態度で、着物を脱いで裸になって説教を聴けと命じ、そうでなければ神に言われようと彼に話はしないと突っぱねた。

こうしてオネシクリトスはカラノスの説得に失敗したが、しかしタクシレスという別の者が説得に成功し、アレクサンドロスのところまで連れて来ることが出来た。

『英雄伝』では、カラノスという名は本名ではなく、本名はスフィネスといい、「御機嫌よう(カイレイン)という挨拶の代りにインド語でカレと挨拶した」ために、ギリシャ人たちに「カラノス」というあだ名を付けられたとしている。

また他にもカラノスは『英雄伝』で「アレクサンドロスに支配のモデルを示した」とされる。これはおそらく、アレクサンドロスから、「どうすれば巧みに支配することができるのか」といった類の質問をされ、それに答えたということだろう。

この時にカラノスは、地に乾燥した(おそらく果物の)皮を置き、その皮の端を踏むとどこを踏んでもめくりあがる、しかし中心を踏みしめるとめくりあがらない、このようにしてそれを示したとされている。

つまり、支配地域の中心にいて、あまり方々に出掛けないことだ、という意味である。

これはやや穿(うが)った見方かもしれないが、アレクサンドロスの遠征それ自体を遠回しに窘(たしな)めているとも解せる。征服のために戦をするならば、既に支配している地域の「端」から、その外部に出てゆかざるえないからである。

カラノスの火葬

プルタルコスの『英雄伝』の記述を見る限り、概してアレクサンドロスは、表現が慎ましいために何を考えているのか分からない者よりも、あけすけに表現する率直な人間を好んだ風に見受けられる。

ゆえに剛直なカラノスとは気が合ったかもしれない。

カラノスは最期もマケドニア人たちの前で自らを火葬して生を終えている。

しばらく前から腹の病気にかかっていたカラノスは、(アレクサンドロス、あるいは他のマケドニア人に)自分の火葬のため薪を用意してくれるよう頼んだ。

当日、その場に居合わせたマケドニア人たちにひとしきり挨拶を終えたカラノスは、薪の上で横たわって顔を隠し、火が近くなっても動かず、そのままの姿勢を保ったままでいた。こうしてカラノスは「父祖のしきたりに従って従容として死んでいった」(『英雄伝』)。