赤羽チャイ連【赤羽華人連盟會】暴力一筋の実態とは?初代リーダー・インタビュー

2020年3月号の『実話ナックルズ』で、伝説の愚連隊・赤羽のチャイ連「赤羽華人連盟會」初代リーダーのインタビュー記事が掲載されました。

その「怒羅権」以上ともいわれた凶暴さとは?

あれほどの存在感ながら、数年で解散した理由とは何か?

その内容をまとめました。

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赤羽チャイ連・初代リーダーの簡単な経歴

インタビューに現れた初代リーダーの男は30代後半です。

雑誌では「張賢」という仮名で登場します。

初代リーダーは中国黒竜江省生まれ。10歳で両親と来日します。

99年、初代リーダーが16歳の時に「チャイ連」赤羽華人連盟會は作られました。

初期メンバーはたった11名だけだったそうです。

チャイ連の暴力的な活動を通じ、リーダーの逮捕歴は10回を数え、計5年の懲役生活を送りました。罪状はすべて傷害と脅迫。

しかし現在では従業員20名弱の建設会社の社長をしているといいます。

赤羽チャイ連【赤羽華人連盟會】の実態とは?

そのリーダーが『実話ナックルズ』の取材に答えて語ったことは次のようなものです。

結成の動機

その頃、中国人の愚連隊グループでは怒羅権が圧倒的な存在でした。

初代リーダーは、実際に葛西や王子の人にメンバーに誘われたこともあったそうですが、すべて断ったそうです。

理由は同じ中国人として尊敬はしていたものの、厳しい上下関係や人の下につくことが苦手で自由にやりたかったためでした。

したがってメディアではチャイ連は「怒羅権」の下部組織とされ「チャイニーズドラゴン」と一括りにされることが多いですが、実際にはまったく別の組織だといいます。

しかし友好関係にあったために、「自分たちは自分たちでやっていきますんで」と断りを入れただけで特に揉めることはありませんでした。

怒羅権の先輩たちは行動の理由として「いじめ・差別」を挙げることが多かったですが、初代リーダーたちはむしろ赤羽という地元への地元愛の方が強かったといいます。

当時の赤羽は近隣の不良に荒らされており、それを潰せば「赤羽にチャイ連あり」と名が轟いて面白い、最初はそれくらいのノリだったそうです。

チーム名は地元の居酒屋「庄屋」でわいわい話しながら決めます。

日本人の友人も多かったリーダーですが、中国人としての誇りのようなものを刻みたくて、名前に「華人」を入れたそうです。

「本気で刺しにいく」チャイ連・フローレンス13も配下に

しかし2年もするとメンバーの数は増大、近隣の街からもチャイ連を潰そうと暴走族・ギャングなどの不良が押しかけるようになります。

2000年代からは本格的に赤羽の街は血で染まりました。

チャイ連の勢力拡大にともない、池袋のカラーギャング・赤ギャンの「フローレンス13」は配下におさめ友好関係になります。(画像・左上)

月に2、3回、配下のフローレンス13も含めて集合し、「パトロール」と称して赤羽の街を練り歩き、最後に行きつけの中華料理屋を貸し切りにして白酒の一気大会をしていたそうです。

中核メンバー自体は30名ほどでしたが、赤羽のチャイ連は全体では100名のメンバー、末端まで含めると150名になったといいます。

初代リーダーはなぜこれほど少数のメンバーが存在感を持ったのか、その理由を次のように説明しています。

「俺たちはどんなときも本気で刺しにいった。日本人の不良は喧嘩の前にごたごた能書きを垂れるけど、俺たちは無言で、呼吸するようにすっとナイフを突き刺す。相手は一瞬何が起こったかもわからない。喧嘩は鍛えれば強くなるわけじゃない。一線を越えられるかどうか、ですから。こんなことばっかりやってるうちに、チャイ連はヤバいって噂が広がっていった」

引用:『実話ナックルズ2020年3月号』

暴力一筋だった赤羽チャイ連

00年代の初頭から半ばにかけて、チャイ連はニュースになるような事件を次々に起こしますが、そのほとんどが傷害、殺人未遂、拉致監禁といった暴力事件で、2003年には捕まった仲間を助けるためにパトカーの襲撃までしています。

初代リーダーの罪状が傷害と脅迫だけなのも、現在の半グレのように金目当てに行動を起こすといったことがほとんどなく、喧嘩した相手から結果的に金を巻き上げることはあっても、金を目的にした犯罪は「邪道」扱いだったといいます。

喧嘩のために駅の周りの植え込みに包丁や鉄パイプを隠しており、リーダーはそれらの凶器は「箸や歯ブラシのような日用品」だったとしています。

当時は怖いもの知らずで、喧嘩になれば刺しちゃえばいいと思っていたそうで、仲間がヤクザの組長を車で轢いて幹部たちが組に追われたり、大陸から来た中国人とトラブルになり拳銃を突き付けられたこともあるそうです。

警察の集中砲火で解散

警察から完全に目を付けられるようになったのは00年の半ばから、喧嘩で死人を出したことが原因でした。

所轄の赤羽署だけでなく、本庁の組対部も加わって「チャイ連包囲網」が出来上がります。

リーダーと幹部の自宅・たまり場の中華料理屋にはたえず警察が張り込み、04、05年ごろにはほとんど言いがかりのような理由で逮捕されるメンバーが増えます。

さらに逮捕後に他のメンバーを売るように頼まれると、仲間内でも疑心暗鬼の輪が広がります。

当時はリーダーも深夜にこっそり家の近くに戻り、家の周りをまわって張り込みがいないことを確認しなければ家に入れなかったそうです。

また布団に入っても、逮捕状を持った刑事がいつ来るか分からないのでなかなか寝付けなかったといいます。

2008年、仲間たちが警察に着け狙われるような日々はもう終わりにしよう、と初代リーダーは解散届を赤羽署に出しました。

こうして初代赤羽華人連盟會は解散します。

初代リーダーは、「警察が本気になったら愚連隊なんて一たまりもない。準暴力団指定がなかった時代ですらそうなんだから、今の半グレも調子に乗ってても簡単にやられちゃう。いまだに警察のやり方には納得がいっていないところも多いけど、いざとなったら何でもありなのが警察」といったことを話します。

赤羽チャイ連OBのその後とは?

赤羽華人連盟會、チャイ連OBたちのその後はどういったものなんでしょうか。

解散後、チャイ連の元メンバーらのほとんどが普通に職につき、家族を持ってまっとうに生活しているといいます。

怒羅権に比べ、ヤクザの道に進んだメンバーは意外なほど少なく、5、6人しかいません。中には大出世している者もいるそうです。

警察に囲まれ、制圧された時に胸を圧迫されて急死した者、シャブ中になって飛び降り自殺をした者、部屋で孤独死した人間もいます。

最後にリーダーは、「まあ色々ですよ。ただマジメにやっている人間については、そっとしておいてほしいですね」と語っています。

以上になります。

この記事は『実話ナックルズ』2020年3月号の記事をもとに書かれました。
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