亡くなった落語家の四代目三遊亭小円朝ってどんな人?調べてみた

落語家の三遊亭小円朝(さんゆうてい・こえんちょう)さんが2018年12月17日、死去されました。死因は肺炎、年は49歳だったそうです。

今は人生五十年という時代ではないので、あまりに早い死で気の毒ですね。

しかし私自身、落語について不案内なもので、三遊亭小円朝さんがどんな人だったのか、まったく知りません。

そこで三遊亭小円朝さんはどんな方だったのか、調べてみました。

亡くなった落語家の三遊亭小円朝ってどんな人?

三遊亭小円朝さんは正しくは三遊亭小圓朝、本名は高橋秀帆(たかはし・ひでほ)で東京都豊島区のご出身で、1969年生まれです。

お父さんは三代目三遊亭圓之助で、母方の祖母は漫才師の大江笙子、同じく祖父は漫才師の大江茂です。

高校時代に、父である3代目三遊亭圓之助が56歳で亡くなっています。お父さんの亡くなった年は56歳、今回亡くなった小圓朝さんは49歳ということなので、家系として短命なのかもしれません。

高校は中退していますが落語家では苦労すると思い、すぐにそちらの道には進まず、運送会社などでサラリーマンを経験します。

1992年、23歳頃に10代目柳家小三治に入門します。

10代目柳家小三治は、人間国宝にも認定されたほどの名人です。

ところが2年後の1994年、小圓朝さんは師匠から破門されています。

破門の理由は分かりませんが、柳家小三治という人は非常に弟子の指導に関して厳しい人であるようなので、小圓朝さん側に大きな原因があったわけではないという可能性もあります。

ちなみに柳家小三治師匠の娘は郡山冬果(こおりやま・ふゆか)さんと言い、江守徹さんが代表を務める文学座に所属している女優さんだそうです。

破門された小圓朝さんは一時的に落語から離れますが、また2年後、亡くなった父・三遊亭圓之助の弟弟子の6代目三遊亭圓橘に再入門し、落語の道に戻ります。

1997年に 二つ目昇進して4代目圓之助を襲名、2005年には真打に昇進して、4代目小圓朝を襲名しました。

まとめ

  • 高校生の頃、お父さんを亡くされている。
  • すぐには落語の道に進まず、サラリーマンも経験。
  • その道に進んでからも師匠に破門されるなど紆余曲折あったが、もう一度落語の道に戻ってからは、亡くなるまで噺家として歩んだ。

あらためて、亡くなられた4代目三遊亭小圓朝さんのご冥福をお祈り申し上げます。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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